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Posted by: kawasaki
2008/10/08 10:27
私はディスクをコレクションしている。集め始めてかれこれ30年近くになる。ディスクのプレーを始めるのと同時に集め始めたのである。なぜディスクを集め始めたのか?? 私自身は特に何かの収集歴があったわけではないし、子供の時に何かを集めた記憶もない。ごく自然に集め始めていた、という感じである。理由はいくつかある。まず、当時かなり多くのプレーヤーがカラフルな記念ディスクをごく自然に買っていたという状況がある。ローズボウル(フリスビー世界選手権)の記念ディスクはカラフルでとても良いデザインであった上に、当時全てのプレーヤーが目指す唯一かつ世界最高の大会だった。プレーヤーは皆、その記念ディスクを日々見ながらその夢の大会への出場を目指して練習を重ねていたのである。
2つ目の理由は当時住んでいた自分の家の近くに、なんとディスクを売るプロショップがあった、ということである。吉祥寺駅の北口にあったディスクショップ”エアエース”は自宅から自転車で10分ぐらいのところにあった。店の壁には貴重なディスクが1面に飾ってあり、毎年ローズボウルの少し後に直輸入した記念ディスクを発売していた。私はその日になると駆けつけて行列に並んでディスクを買ったものである。当時はインターネットが存在せず、雑誌に広告が載ることもなかったので、通信販売はやっていなかった。お店に直接行くしかなかったのである。今思い出しても強く記憶に残る素晴らしいプロショップであった。

ある時エアエースが店じまいをするという噂を聞いた。驚いた私がお店に行きオーナーに確かめたところ、それは本当であった。いろいろ話をしていたところ、オーナーは何と今まで決して売ることのなかった壁に飾ってあるコレクションディスクを売ってくれるという。それから私は何回かお店に通い、少しづつ欲しいディスクを買っていった。お気に入りのディスクを何枚も手に入れることが出来てとても嬉しかったが、全てを手に入れることはできなかった。ちなみに最後に残ったディスクは全て現(株)ヒーロー社長の新保孝三氏が入手していたという話をつい最近聞いて大変驚いた。
その後も私は少しづつディスクを集めていった。しかし、そのペースはとても遅かった。仕事の都合で海外遠征が一切できなかった。手に入れる方法は海外へ行った友人からのお土産でもらうか、面倒なアメリカからの通信販売ぐらいであった。あるいは普通に売っているディスク、ごく普通に競技に使うディスクがすぐに廃盤となったり金型変更になり、時間が経つと自然に珍しいディスクとなった、ということもあった。
私はずっとディスクを集めてきたが、それは集めてきたというよりも、ただ物持ちが良かったという感じでもある。手元に来たディスクを使ったものも使わないものも捨てずに残しておいた結果、という感じである。決してディスク収集に沢山のお金をつぎ込んできたということではない。

ただしその中でもどうしても欲しい物が2つあった。一つはフリスビーパイティン。ディスクの起源となったパイ皿である。長年探し続けていたが、ある時、アメリカのコレクターがまとめて売りに出してくれたおかげで、字体の異なる3種類のパイティンを格安で手に入れることができた。これはとても運が良かった。
そして、もう一つ長年探し続けていたものがある。それは世界最初のシャープエッジディスク、イノーバが設立後すぐにシャープエッジの特許を取って発売した初代”イーグル”である。このディスクは1983年に発売されたが、すぐに”エアロ”に金型を変えたため生産数が少なく、また当時は投げるためのディスクであったため、良い状態のものはほとんど残っていなかったのである。日本でも発売されることはなかった。
私は長年この”イーグル”を探していたが、見つけることができなかった。オークションに出ることも無かったし、PDGAワールドのフライマーケットにも出てはいなかった。
ある時私がオークションにディスクを多数出していたコレクターに問い合わせてみたところ、なんと彼はイーグルを持っていて売っても良いという。私はとても喜んだが、価格が何と1枚7万円であった。私は諦めた。それを欲しい人にとっては適切な価格なのかもしれないが、私にはあまりに高額であった。

そして時は経ち、つい最近私はディスクの整理ときちんとして保存の仕方をやり直し、また、全てのコレクションディスクを写真に取って、自分が何を持っているかを把握することにした。全てのディスクを写真に撮り、1枚1枚ビニール袋に入れ、クッションを入れた段ボールに並べて入れて行った。これはとても楽しかった。ディスクを見るたびに思い出が浮かんできた。ディスクを集めてきて良かった、と心から思うことができた。
その過程で全く記憶になかったディスクが1枚出てきた。それはイーグルの改良版である”エアロ”のはずであった。私が沢山持っている”エアロ”は全て日本で購入したAERO”の文字が入っているブルーのディスクであったが、そのディスクはイノーバの象徴である”スター”マークが入ったオレンジのディスクであり、しかも1枚しかなかった。不思議に思った私は調査を始めた。ついにそのディスクについて細かく解説してあるディスクコレクターのブログに行きついた。そのディスクは何と初代”イーグル”の特徴と合致していた。裏に刻印が一切無く、表のチャンピオンの文字の横に”TM”の文字がプリントしてあった。衝撃であった!何と私は”イーグル”を自分で持っていたのである。なぜ、自分で持っているのか最初は理解できなかったが、大昔の記憶を必死にたどってようやくその経緯を理解することができた。

1982年に私は最後のWFC(世界フリスビー選手権)の遠征に行き、その後海外遠征を全て停止していた。会社・仕事の都合がそれを許さなかったからである。そして、1983年の新しい世界選手権=ワールド・ディスク・チャンピンシップには私の友人=チームメイトが参加していた。当時の海外遠征のお土産はカラフルな大会の記念ディスクがメインでありとても喜ばれていた。型は”ワームオーフリスビー”の大きなディスクがメインであった。ところが帰国した私の友人は私にそのとても”地味”な”イーグル”を1枚だけくれたのである。他の友人にはカラフルで大きなフリスビーをあげていたので、私は“なんで私にはあんなに小さくて地味なディスクしかくれないのだろう”と思ったのである。私は何のディスクをもらったかは覚えていなかったのだが、その残念な思いだけはよく覚えていた。当時私はディスタンスをメイン種目として遠くへ飛ばすことを生き甲斐にしていたので、友人はその年にイノーバが特許を取得して世界で初めて発売したシャープエッジディスクを私へのお土産にしてくれていたのである。しかし、ディスタンスというのは1度に沢山(5~10枚ぐらい)の同じディスクを投げて練習するものであったので、1枚しかないディスクは役に立たず、すぐに押入れの奥にしまったのである。おそらく1回投げたぐらいであろうそのディスクはほとんど新品のまま25年間眠っていた。その間、3回引っ越しをして結婚もして4軒の異なる家に住んだが失われることはなく、久しぶりに目の前に現れた。とても感動した! これも運命か。

コレクションを整理した結果、ミニディスク322枚、大きなディスク260枚持っていることが判明した(今も少しづつ増えている)。これは純粋にプレーに使っていたディスクは除外した枚数だが、それ程多い数では無い。新保孝三氏や鈴木賢一 氏は2000~3000枚持っているそうなのでそれに比べたら全く大したことはない。それでも私には思い出深いものであり、また、抜けはあるが30年間集め続けて来たので、時代としてはほぼ網羅している内容である。特にゴルフディスクについては結構充実していると思う。
幸いにも11月に南相馬で行われる日本選手権にてこのコレクションの一部を公開するチャンスに恵まれた。フリスビー・パイティン、世界最初のゴルフ専用ディスク(ミッドナイト)、初代イーグル 等ゴルフディスクの歴史をたどって展示される予定である。是非興味がある人はご覧になって欲しい。
また、日本一の数と内容を誇る新保孝三氏のコレクションを展示するミュージアムが近く小豆島にオープンするそうである。こちらも絶対に必見であろう!
ディスクコレクションは素晴らしい!
Posted by: kawasaki
2008/09/23 00:25
私は難コースが好きである。戦略的なコースが好きである。
何と難しいコースであろう!となればなるほど面白く、楽しくなってくる。それこそディスクゴルフの醍醐味である。あらゆる知識と技術を駆使して最も確率の高い戦略をたてる。それこそディスクゴルフの面白さである。
どんなに難しいホールでも挑戦していきたいと思う。もし自分にとって限りなく確率が低く攻め手が無いと思っても、それは自分の技術の不足が原因であり、最後まで抵抗してベストのプレーをしたいと思う。

*偶然性
偶然性が高い、というのは成功と失敗の確率が全く技術に関係なく、共に確率50%でどちらに転ぶかわからないようなことを言うのであり、自分にとって確率がゼロに近くてもケン・クライモならば上手くなげるようなホールならば、それは自分の技術が足りないだけである。そのようなホールが18ホールの中に1ホールぐらいはあるものである。そのようなホールは無理をせずに安全にプレーするか、必死にベストを尽くしてプレーすれば良い。人間諦めた瞬間から下手になっていく。良いプレーヤーは愚痴をこぼしたり、自分の弱みを見せるべきではない。誇りある態度を振る舞うべきである。それが王者の風格というものであり、メンタルコントロールの一環でもある。私は少しでも、一歩でも王者に近づきたい。
ディスクゴルフは難しい、奥がとてつもなく深い、どこまで進んでも行き止まりが見えない、だから面白い。

*投げるライン
私は最近出場したJPDGAの大会において、自分の投げるラインが無い、と思ったことは一度も無い。ラインが無い、ということはどこにも投げるところが無い、という意味である。唯一そのように感じたホールはこの1年間で2ホールだけ、そしてそれはJPDGA以外のディスクの団体が主催する大会でのコースでのことであった。その2ホールはさすがに困ってしまった。一生懸命に投げたが、目の前の木に当たってしまった。その2ホールにおいて私は、今や世界のトッププレーヤーとなった梶山学選手と一緒にプレーしたが、さすがの彼も手が無く、2ホール共ティーエリアからほぼ垂直に真上の木の隙間に向かって投げていた。飛距離は30~40mぐらいであった。

*右投げ・左投げ
右投げの私に投げるラインがある、ということは当然左投げの人にも投げるラインがあるということである。もちろん、ハイザーとアンハイザーでは一般的・平均的に成功する確率が異なるのは自然である。あるホールでは右投げの方が有利になり、あるホールでは左投げの方が有利になることはよくあることである。全てのホールで右投げと左投げが同じ確率で成功するコースなどあり得ない。ホール毎に要求される技術が異なり、全体でバランスが取れているのが良いコースである。
それでは最近のJPDGAの公式戦のコースで右投げ、左投げどちらかに有利に偏っているコースがあったかどうか?ためしに検証してみた。今年私が参加した大会の右・左投げにそれぞれ有利なホール数を数えてみた。
①東京OP 右投げ有利=6ホール、左投げ有利=7ホール
②南相馬OP 右投げ有利=5ホール、左投げ有利=5ホール
③日本OP 右投げ有利=3ホール、左投げ有利=3ホール
④東北OP 右投げ有利=5ホール、左投げ有利=5ホール
⑤関東OP 右投げ有利=5ホール、左投げ有利=5ホール
⑥中部OP 右投げ有利=6ホール、左投げ有利=5ホール
以上である。
結果はというと全ての大会で右投げと左投げの有利さの差はほとんど無い、非常にバランスが良く取れている、ということである。まあ、ひいき目に見ているところも少しはあるかもしれないが、それでも大差は無いレベルだと思う。JPDGAの大会のコースは各地の設計レベルが上がっており、良いコースが増えているということであると思う。最近のJPDGA公式戦のコースには右投げ・左投げのどちらかに有利なコースがあるということはないということである。

USDGCのコースが左投げに有利ではないか、という話を聞いた。興味深いので分析してみた。結果はと言うと、右投げ有利=5ホール、左投げ有利=9ホール であった。これは確かに左投げに有利と言えるかもしれない。しかし、現実には左投げの優勝者は1人も出ていないのである。
ちなみにこの右投げ有利、左投げ有利、というのはバックハンドスローのハイザー・アンハイザーの確率を一般的・平均的レベルで比較しているだけである。実際には世界の多くのトッププレーヤーがアンハイザー自体を苦手とせず、また、その不利な状況をサイドアームスローやローラーでカバーしている、という重大な事実を忘れてはならない。
多くの日本人プレーヤーは、まだアンハイザーを苦手としており、またサイドアームスローやローラーを上手く活用出来ていないと思う。


*助走
助走のスペースが取れない、ということは日本のどこのコースでも日常茶飯事にあることである。助走は方向や距離が人によってかなり異なっている。常に全ての人が満足できる助走のスペースをとることは不可能である。全ての人にとって同じ条件ならば問題はないと思う。これは右投げ・左投げの有利・不利の差ではなく個人の差の方が大きい。ルールブックにもPDGAのコンペティション・マニュアルにも「助走を十分にとれるスペースを確保しなければならない」などとはどこにも書いていない。ルールブックに「ティーエリアの外から助走することが可能である」と書いてあるだけである。
この状況はアメリカでも同じである。
まずティーエリアについて。PDGAワールドでも、ホットランタでも、右投げの私が助走が取りにくいホールは沢山あった。私は助走の長さは普通だと思うが、ハイザー・アンハイザーの時に助走の角度をつけることにしている(このようにしている人は多いと思う)。ところがコンクリートティーで土の部分と段差があったり、土の部分が荒れているホールがあると、その段差を乗り越えて助走しなければならず、かなり投げにくいと感じた。そして段差があるコンクリートティーは結構あるのである。でもそれは皆同じ条件であるからしょうがない。それでも上手く投げる人がいるのだから、自分が下手だということである。
これが2投目以降になるとさらに助走がしにくくなる。昨年のPDGAワールのコースは特に顕著であった。山を開拓して作られた4つのコースは最高の面白さを持っていたが、地面はかなりの部分で荒れていたし、登り坂も多く、とにかく助走がしにくいのである。パー4が多く、2投目以降のスローでは助走がほとんどできない状況でかなりの距離やカーブスローを投げなければならなかったことが多かった。極端な話、助走ができない時のスローの精度の差でスコアに差がついてしまうのである。
上位の選手は助走無しでも非常に精度良く遠くまで投げていた。私が出場したグランドマスター部門でもそうであった。デビッド・グリーンウェルやスナッパー・ピアソンは助走を一歩もしないで80mまでの距離(カーブスローも)を投げることができていた。そして彼らはレーティングが1000を超えているかそれに近い値となっているのである。また、ワールドのレポートでも書いたが、ネイト・ドスは、片足をブッシュに突っ込んだ体勢で膝を地面に付いた体勢で、エビアを80m投げてゴールに寄せ勝負を決めるバーディーを取り優勝したのである。もし、レーティングを1000を超える値にして、世界で活躍したいのならば、助走無しのスローが上手くならなければならない。

ちなみにUSDGCのコースの整備の良さは例外である。元々整備された大学の敷地内を利用して作られた上に大会用に手入れをしているので、ティーもフェアウェイも非常に平らで助走がしやすいが、これはアメリカでも特別な環境であるということを忘れてはならない。


ところで、、、、ここまで書いておいて、、、話が変わる、、、

これまでの話は非常に競技のレベルが高い話である。マニアックな内容である、とも言える。
今の日本において普及という観点から見ると、このような話はあまり関係ないかもしれない。もっと違う観点に留意するべきかもしれない。日本とアメリカは明らかに状況が異なっている。これは国民性の違いや社会環境の違いが影響している。アメリカのやり方がそのまま日本で当てはまるとは限らない。
すでに、アメリカではディスクゴルフはかなり普及している。コースの数は2000を越え、PDGAの会員数が2万人に近づき、産業がある程度成り立ってきている。アメリカのディスクゴルフは明らかに「競技性の追求」で広がって来た。これはアメリカ人の競技性の高さやとことん突き詰める、という国民性によるものである。アメリカでは生涯スポーツ、やレクリエーションスポーツ、という言葉をほとんど聞いたことが無い。アメリカ人全体は元々競技志向が非常に強いのである。しかし、日本人は性格が異なる。もちろん今のJPDGAの会員の多くは競技性が強いのだが、日本人全体でみるとそうではなく、社会環境等も影響しており、結果として生涯スポーツやレクリエーション的要素が必要とされる傾向が非常に強いのである。
日本では大会に参加する選手のレベルに非常に大きな差がある。アメリカのようにマニア=競技者だけでは成り立たない世界となっている。これはディスクゴルフに限ったことではなく、多くのニュースポーツに共通していることである。しかも日本には非常に沢山のレクリエーション的ニュースポーツがあり、ディスクゴルフにとっては競争相手がとても多いのである。
従って日本の多くの大会ではトップレベルの競技者とレクリエーションとして楽しむレベルのプレーヤーが同時に楽しめるコースを設定している状況がある。それが普及のためにはバランスが取れたやり方であろう。つまり、入口はレクリエーション的要素を強調しつつ、実は競技性が深いということを売りにするべきであろう。
理想的な形は、ベースとなる愛好者の人口が多く、その人達の上にのレベルの高い競技者がいるという状況である。レベルの高い競技者の人口が少ないのは自然な状況である。
”普及”のためには作戦をよく考える必要があると思う。

Posted by: kawasaki
2008/07/14 18:23
この話は以前このコラムで書いた「伝説の犬」の話の続きである。そこで私は26年前に伝説の犬=ディスクドッグ創始犬=アシュリー・ウィペットとその飼い主=アレックス・スタインに会い、アシュリーのミニディスクをもらった話を紹介した。
ところがなんと今年5月末、那須で行われるAWIジャパンスーパーファイナルにそのアレックス・スタインがやって来て、偶然にも私はその大会のお手伝いに行き、彼に会うことが出来たのである。

私は当然興奮し胸躍らせていた。この26年間彼には一度も会ったことは無いし、もちろん彼は私のことなど覚えていないだろうが、私にとってのあの偉大な出会いとミニディスクについての話を是非彼に伝えたかった。
AWIジャパンスーパーファイナルの前日、フィールドに私が夕方到着すると彼は設営部隊の一員として働いていた。新保さんに紹介してもらい、私は挨拶すると共に、あのミニディスクを取り出してそのいきさつをつたない英語で一生懸命説明した。
最初彼はその話を信じられないように聞いていたが、大学の寮に泊まっていたことを鮮明に記憶していて、事実だとわかってくれると共に大変驚きそして喜んでくれた。以後別れるまでの2日間アメリカから一緒に来た仲間にも「26年振りの再会」について詳しく、そして感動したように話をしてくれていた。嬉しかった!私は彼に今度は私の名詞ミニディスクをプレゼントすると共に、26年前にもらった例のミニディスクにサインをしてもらい一緒に写真を撮った。宝物が1つ増えた。彼の話ではそのミニディスクは今はとても珍しく1万円ぐらいの価値があるとのことである。
僅か2日間ではあるが、彼と話をして、時を一緒に過ごすことが出来てとても幸福であった。一生忘れない思い出である。いつかまた会える日が来ることを楽しみにしている。

彼との話の中で1つ私が誤解していたことがわかった。アシュリーは決して女性が好きで男性が嫌い、ということは無かったそうである。たまたま機嫌が悪かっただけか逆に「遊んでちょうだい!」と催促したのではないか、とのことである。大変失礼しました、アシュリー!

また、彼との話の中で非常に興味深いことがわかったので以下にご紹介したいと思う。

①アシュリー・ウィペットはなんとPDGAの会員であった!犬なのに!!ちなみにPDGAのサイトで会員検索を行ったら本当に出てきた。しかも番号は非常に若い445番である。アシュリーはディスクゴルフをやったのだろうか?いや、アシュリーならばやったに違いない!

②26年前の当時アレックス・スタインとアシュリー・ウィペットはなんとあの伝説の町=パサデナに住んでいたそうである。もう1つ伝説が増えた!詳細はこのコラムの「伝説の町」編を読まれたし。ディスクドッグ創始犬までが伝説の町=パサデナに住んでいたのである!!


2DSCN1063.JPG


Posted by: kawasaki
2007/12/10 23:25
フライングディスクそしてディスクゴルフにとって歴史上の偉大な出来事がいくつも起きた伝説の町がアメリカにある。それはカリフォルニア州 パサデナである。
その町では1969年世界で初めてのディスクゴルフの組織的に運営された公式な大会が開催された。1974年にはフライングディスクの歴史上最大のイベント世界フリスビー選手権=ローズボウルがその街にある10万人収容のアメリカンフットボール専用スタジアムで開催され、それは81年まで続いた。そして1975年にはその町に世界で最初の常設ディスクゴルフコースが開設されたのである。なんという町であろうか。そんな町に是非生まれ育ってみたかったものである。
ところが、その幸運に恵まれた人達が実際にいた。世界最初のディスクゴルフの大会が開催される数年前、1960年代中頃、その町=パサデナの同じ学校に通う3人の高校生チャーリー、ティム、グレッグ、そしてチャーリーの弟ハロルドがその人達である。3人が通う高校ではなんと当時フリスビーの授業が行われていた。その随分前からフリスビーは世の中で発売されていたが、まだ競技としては発展途中であり、協会もなく組織立った大会もほとんど開催されていなかった。ところがフリスビー好きの先生がいてその授業を行っていたのである。フリスビーのとりこになった3人は授業以外の時間にも投げるようになり、その中にチャーリーの弟ハロルドも加わった。
その後、その町では世界最初のディスクゴルフの大会が開催され、世界フリスビー選手権が開催され、世界最初の常設のDGコースが出来、ディスクゴルフが飛躍的に発展していくのに伴い、彼らは競技スポーツとしてのディスクゴルフにのめり込み腕を磨いていった。そして長年の努力が実り、1982年、その中の1人ハロルドがディスクゴルフ世界選手権の初代チャンピオンとなった。ティムもフライングディスクの名プレーヤーとなった。そして4人はついに当時のディスタンスチャンピオンであり後に天才ディスク設計者として活躍するデイブ・ダナペイスと共同でディスクメーカー=イノーバを設立したのである。イノーバはその後数々の高性能ディスクを作り続け、競技スポーツとしてのディスクゴルフの発展に大きく貢献した。
チャーリーは事情がありイノーバから身を引いたが、グレッグ=グレッグ・ミュールはイノーバの発展に大きな貢献をし、今も常勤役員として変わらずイノーバで働き続けている。
ティムは名プレーヤーとして活躍する傍ら、長年の間数多くのディスクイベントの運営や活動に関わり、フライングディスクの発展に貢献し続けて来た。彼は1999年ホールオブフェイマーに選ばれ、今はイノーバの重役としてはもちろん、PDGAメジャートーナメント”USマスターズ選手権”のTDとしても活躍している。ティムとはティム・ソレンスキーその人である。
ハロルドはその後再びディスクゴルフの世界チャンピオンとなり、1994年ホールオブフェイマーに選ばれた。今はイノーバ・イーストのトップとして会社の運営に携わると共に、トーナメントディレクターとしてUSDGCを世界最高の大会と言われるまでに育て上げた。ハロルドとはハロルド・デュバルその人である。
伝説の町で育った少年達は伝説の人達となったのである。
Posted by: kawasaki
2007/11/11 19:19
その昔(1970年代)、フライングディスクのエッジ形状はいわゆる”ラウンドノーズ”のディスクしかこの世に存在していなかった。全ての種目、もちろんディスクゴルフもラウンドノーズディスクでプレーされていた。そのエッジ形状の写真を下記に示す。

”フリスビー”プロフェッショナルディスク(ガッツ用)

当時最も遠くへ飛ぶディスクとしても、同じエッジ形状のフリスビー=ワールドクラス119gがディスタンス専用ディスクとして使用されていた。いまではおもちゃとしか思えないフリスビーが最も遠くへ飛ぶディスクだったのである。

そして、最後のローズボウル(’81年世界フリスビー選手権大会)ディスタンスチャンピオンであった精神科医デイブ・ダナペイスが80年代初頭、ついに画期的なシャープエッジ(エッジ下部が鋭角)を考案、特許を取得し、ディスクメーカー”INNOVA”を設立した。
その後、INNOVA(=デイブ・ダナペイス)は次々と高性能のゴルフディスク(シャープエッジディスク)を考案し、競技スポーツとしてのディスクゴルフは画期的な発展をし続けて来た。参考に最近のゴルフディスクのエッジ形状の写真を下記に示す。


KC PRO ガゼル

デイブ曰く、「この画期的なエッジ形状は航空力学から考案した」とのことである。精神科医をやっていたぐらいの秀才であるデイブならではの発明であろう。そこで精神科医を辞めてしまいディスクメーカーを起こすというのも凄いが、その後30年近く経った今でもイノーバのディスクは全てデイブ・ダナペイスたった一人によって設計し続けられている、というのも凄い話である。
もしデイブ・ダナペイスがいなくなったらイノーバはどうなってしまうのであろうか。
デイブ!頑張れー!まだまだ頑張ってくれー!と声援を送りたくなるのはもちろん、偉大なディスクを考案し続けてくれていることに心から感謝したい!ありがとう!!
もちろん彼はホールオブフェイマーである。

さて、話はこれで終わりではない。
デイブが画期的なエッジ形状を発明する10年以上前の’70年代初頭、なんと日本でこのシャープなエッジ形状のディスクが発明され発売されていたのをご存知であろうか。そのエッジ形状と全体の写真を下記に示す。





これは1970年代初頭に日本でおもちゃ会社トミーから発売されたディスクである。材質は残念ながらプラスチックでは無くスポンジである。ディスクの上側と下側(エッジ側)の異なるスポンジのパーツを張り合わせて作られている。直径わずか17.5cm。扱いとしてはもちろんおもちゃであり、数mしか飛ばないディスクである。
しかし、エッジのシャープな形状には驚くばかりである。当時もちろん世界にはまだシャープなエッジのディスクは存在していない。世界フリスビー選手権すらまだ開催されていない時代である。なぜそのようなエッジが考案されたかというと、設計者がなんと糸川英夫博士だからなのである。糸川英夫氏は戦時中、中島飛行機で高性能戦闘機「隼」を設計し、戦後はロケット研究に従事し有名な「ペンシルロケットの発射実験」を成し遂げ日本のロケット研究の基礎を築いた高名な航空力学の権威である。(糸川博士についてもっと詳しく知りたい方はインターネットで検索されたし。それはそれは沢山情報が出てきます)
それ程の航空力学の権威者とデイブ・ダナペイスの頭の中のレベルが同じであったということであろう。

さらに、面白い事実がある、写真を見ていただけるとわかると思うが、トミーが発売したディスクの名前がなんと”NOVA”なのである。十数年後デイブ・ダナペイスが起こしたディスクメーカーの名前がIN”NOVA”である、なんという偶然であろうか。
そして最後におまけの面白い事実を紹介しよう。”70年代から”80年代初頭にディスタンスの世界記録やMTA・TRCの日本記録が作られた場所であり、当時東京いや日本のフライングディスクのメッカであった東京都武蔵野市のグリーンパーク(現武蔵野中央公園)は戦時中糸川英夫博士が”隼”の設計を行っていた”中島飛行機”がまさにあった場所なのである。そして現在そのすぐ側にヒーローディスクが事務所を構えている。









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